秋山美代子さんのお話 大阪空襲の語り部


今日は、テーマの時間に、大阪空襲の語り部の活動をされている秋山美代子さんのお話をききました。
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秋山さんは、年表や爆弾の実物代の型紙など、いろんなものをつかってわかりやすくお話をしてくれました。
なかでも、弟さんが漫画化された「わたしのせんそうたいけん」という冊子を使ってのお話は、秋山さんの経験がとてもよくわかるお話でした。
食料が配給となり、防火訓練が激しくなるにつれ、近所のおじさんやお兄さんが次々と出征。
サイパンやグアムで玉砕。
学童疎開がはじまり、秋山さんも弟さんたちと疎開されたそうです。
対馬丸が沈没。
東京大空襲に続き、大阪大空襲が起こり、約4000人の方が死亡。
そんな中、子どもたちは勉強どころではなくなり、竹やりや手榴弾を投げる練習が「ひとり必殺」の合言葉のもと行われたそうです。
焼け跡には、焼夷弾がごろごろ落ちていて、たくさんの死体を焼くすごいにおいがしたそうです。
広島、長崎に原爆が投下され、沖縄が戦場になり、8月14日、大阪に最後の空襲があり、秋山さんもその空襲に遭遇されたそうです。
命からがら逃げ延びたけど、家が全壊。戦争は終わったけれど食べるものがなく、幼い二人の弟さんが栄養失調でなくなったそうです。
お葬式もできず、遺体をリアカーに乗せて、焼きに行ったことなどを話してくれました。
被害を受けた話だけでなく、日本が侵略した国の話、平和を維持するために憲法があること、平和の維持が難しいことなど、いろいろなお話をしてくれました。
時間が超過したのですが、どの子も秋山さんのお話を真剣にきいていました。
「秋山さんの話をきいて、いろんなことがよくわかった」
「戦争って、すごく悲しく、つらいものだと改めてわかった」
「防空壕から砂がおちてきたり、かくれる防空壕をさがしたりという話が聞けてよかった」などなど、子どもたちからいろんな声があがっていました。
実際に空襲にあわれた方の貴重なお話を聞く機会がもてて、よかったと思います。
子どもたちもおおくのことを感じとったことと思います。
平和な社会を創っていくために、自分にできる一歩は何なのか、考えていきたいと思います。(M.F)