詩と哲学への道の実験と 


中学部には、みんなで対話をしていき多角的に考えたり、一人では学習しづらいことを考える「日本語共同」の時間があります。
学期初めは、「今学期、何をやりたいか」をみんなで話し合います。

 

毎回、「哲学」の時間があり、「哲学する」ことを中学部のみんなも大切なこととして捉えてくれているので、

「まず、哲学はやるよね~。」と、哲学はやることとして話が進んでいきました。

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「古典やりたいかな~。あまりよくわからないから。」

「文法? 活用するとかしないとかがわからないからやりたい。」

自分の意見をどちらかと言えば、はっきり言える人たちから、まずは声が上がっていきましたが、

いきなり、「詩をやりたい。」

小さいけれど、はっきりとした声があがりました。

 

今までは、自分の意見を言うことが難しく、どちらかと言えば、周りの人に合わせてきた女の子からの声。

言いたいことを言ってもいいんだという場の空気と、彼女の中で少しずつ積もってきた自信から出た声だったと思います。

他の人たちも、彼女の勇気と一歩を受け止めてくれて、「せっかくだから、詩もやってみよう!」と決まりました。

 

「ところで、哲学のテーマはどうする?」と投げかけてみると、

日ごろから、物事の本質を自然と考えている女の子が、

「なんかさあ、哲学から遠そうに見えるものから始まって、それで哲学できるかどうかっていうのをやってみたい」とのこと。

「え?どういう意味?なんかわからない。」

「つまりね~」

彼女の説明を何回か聞くうちに、みんなも納得。

こんな提案が発想できて、それが受け入れられていくなんて、「学ぶと生きるをデザインする」中学部にふさわしいな~と思いました。

 

「じゃあ、何からスタートするの?」

「時間」「空間」「服」「トイレ」「コンビニ」などなど、いろいろ出ましたが決まったのは、「食器用洗剤」。

 

来週は、食器用洗剤から哲学にたどりつけるのか? その道を探すことにチャレンジします。

どんなチャレンジになることか、ご期待ください!