もっちゃんの防災プログラム


先日、中学部でインターンのもっちゃんによる防災についてのプログラムがありました。

まず初めに、「2年前の大阪北部地震の時はどうしていた?」というもっちゃんの問いかけがありました。地震が起きた時に家や学校にいた人もいれば、登校中でバス停にいた人もおり、それぞれにその時感じた怖さを思い起こしました。

今回は2011年の東日本大震災でもっちゃんが体験したことを話してくれました。

当時、もっちゃんは宮城県に住んでおり、その実体験に基づいて、どのような被害があり、また被災地ではどんな生活をしていたのかを教えてくれました。

2011年3月11日、日本観測史上最大規模であるマグニチュード9.0の地震が三陸沖で発生しました。この地震で発生した巨大な津波は10mにもおよび、なんと時速115mもの速さに達していたと言います。津波に襲われるとまるで全身をゼリーで覆われるように身動きがとれなくなるそうです。

地震発生時には、研修で東京に来ていたもっちゃんは、宮城県の自宅に戻ることができないまま1週間を過ごし、その後、ご実家がある関西へ帰省しました。そして1か月後に帰ることができた自宅の部屋は、地震によりあらゆるものが散乱した状態となっていました。

津波の襲われた後のがれきの山や、崩壊した家、津波の威力で折れ曲がってしまった信号などの写真で町の被害について説明があり、津波の威力を感じました。

一番印象的だったのは、「卒業式」の吊り看板が掲げられた学校の体育館の写真です。体育館は泥だらけになっており、卒業式の時期に突如津波に襲われた様子をうかがい知ることができます。もっちゃんの知り合いの先生は、その体育館で被災され、津波が押し寄せた時には体育館の舞台にある幕によじ登り、必死の思いで耐え凌いだそうです。

地震や津波がいかに恐ろしいものであるか、事実として衝撃的な話もありましたが、みんな真剣な面持ちで受け止めていました。

 

もっちゃんの家でもガスや水道が止まり、食事や水を配給に頼らざるを得ない不自由な生活を続けていました。こうした生活の中で、改めて、日常生活を過ごせることのありがたさを感じたとのことでした。

関西からも自衛隊の方々が支援に入られており、そこで偶然、知り合いの方との出会いもあったそうです。「震災から学んだこと」として、人とのつながりの重要性についても話してくれました。特に他の人との共同生活になる避難所では人間関係を築くことが大切で、お互い助け合いながら生活することになります。

また、いつ・どこで被災するかわからないので、普段から家族の人と地震の時の対応を話し合うことも必要だと伝えくれました。

中学部のみんなからは、実際に被災した時を想定した質問などが寄せられました。

「防災グッズに必要なものは何か?」という質問に対しては、さまざまあるものの、意外なものとしてラップの使用方法を教えてくれました。水が不足している時にお皿にしいて使えば洗い物を減らせるだけでなく、けがをした時に巻くことができます。

「地震を身近に感じられなかったけど、話を聞いて改めて怖いと感じた。地震が起きた時の対策を考えたいと思う」と感想を話してくれた人もおり、他人事ではなく「じぶんごと」として捉えてくれたのではないかと思います。今回の話を聞いて、怖いと思うだけで終わらず、防災として自分は何ができるかを考える姿勢がとても大切だと感じました。(S.T)