2024年11月17日(日)に「自分も人も大切にするワークショップ」を開催しました。
「おとなの会」という、子どもを真ん中にスタッフと保護者で話し合う時間を使って、たくさんのスタッフと保護者が集まりました。
今まで子ども向けには「自分も人も大切にするワークショップ」を学期に一度開いていたのですが、保護者の方とやったことはありませんでした。
この2024年度の1学期は、さまざまなトラブルが起こりました。
全校集会で「暴言・暴力をする人がいて困っている」という議題が出たり、昼休みや放課後にもたくさん話し合いがありました。
それらの状況を受けて、保護者の人からも話がしたいということで、1学期は通常の懇談とは別に、特別な懇談として「暴言・暴力について」話し合う機会を個別に設けてきました。
それらを経て、改めてスタッフと保護者という子どもに関わる大人たちで集まり、「学校の安心安全と暴言暴力について」対話しようということで、「自分も人も大切にするワークショップ」が開かれました。
たくさんの人の想いが溢れる素敵な場となりました。
このブログでは、「自分も人も大切にするワークショップ」の当日の様子についてお伝えします。
トラブルに対する見方
子ども同士で言い合いになる、お互い手が出てしまうなど、トラブルがあったときにそのことをどのように見たら良いでしょうか?
まず、「トラブルは起こるもの」だと思います。多様な人が集まっている場では、それぞれの価値観の違いや、見えていることの違いなどから、ぶつかることもあります。もちろんトラブルはないにこしたことはないけども、それぞれ大事にしていることが違うので、なくそうと思ってなくせるものでもないという風に思っています。
そして、どちらか一方だけに原因があるという見方もせず、対話的に解決していけるようにすることが大事です。
こどもの森では、話し合いだけで解決するのが難しそうなとき、棒人間を使って、そのときの事実やそれぞれの想いや気持ちを可視化します。
今回は、学校のホールでドッチボールをしているときにAさんがBさんをなぐり、つかみあいになった話を例に出して、その見方について話しました。
対等に聴く
このようなトラブルがあったときにスタッフが大切にしていることは「対等に聴く」ことです。
行動の裏には、感情があります。
そして、その感情の裏には、ニーズというその人が大切にしている価値観や意志、望みなどがあります。
感情はその人の大事にしているニーズを教えてくれるものです。
話し合いのときも、このニーズまでお互いに聴き合って、ニーズを大切にする提案をお互いに考えていくことが大切になります。
例えば、今回だとAさんが頭を殴ってしまったのは、イライラしたからであって、その裏には「あたたかさ」というニーズがありました。Aさんは、からかわれずに、あたたかな雰囲気でドッチボールができることを望んでいたけれど、「あたらないもんね〜」という言葉と周りの反応がきっかけに満たされなさを感じたということです。
被害者・加害者へのまなざし
今回の件でいうと、殴ってしまったAさんは加害者に見えて、殴られたBさんは被害者に見える人だと思います。
それぞれの対応についても、結局は同じで「どんな気持ちでそれから過ごしているのか?」「学校や家庭で必要なサポートとは?」という2点です。
スタッフとしては、被害者・加害者と分けて考えることはしません。
ですが、このようにトラブルが長期化してしまったり、起こったことが重く感じることは当然あることです。
そんなとき、親やスタッフとしては、聴くことに疲れてしまう「共感疲れ」が起こってしまいがちです。
崖の上に立つと豊かな景色が見渡せます。
それと同じように、共感には、重い出来事でも前を向いて新たな可能性を見出せるような力があります。
ですが、共感には、崖から足を踏み外してしまうように、状況に飲み込まれ、聴いている大人も一緒にしんどくなってしまうこともあります。
そうなると、共感ではなく「同調」になってしまい、自分の子を被害者に感じたり、逆に自分の子を加害者だと感じてしまい、関わる大人もしんどくなっていってしまいます。
自分や自分の子どものことを被害者や加害者だと感じてしまうことも、自然な心の反応
トラブルが長期化したり、大きな出来事のときに、自分や自分の子どものことを被害者や加害者だと感じてしまうことも、自然な心の反応です。
誰しも我が子のことが大切ですし、スタッフも関わっている子どもたちのことを大切に思っています。
そう思っているからこそ、しんどい想いをしている子どもを目の当たりにしたときに、大人がしんどくなってしまうこともあります。
単に被害者・加害者と感じることを悪いと見るのではなく、「そう感じてしまうのも自然なことなんだ」と受け止めながら、ともに向き合っていくことが大事だと思います。
人には多様な背景がある
人には多様な背景があります。さっき紹介したドッチボールの例でも、背景にはそれぞれの家庭や本人自身の特性など、いろんなものが地続きになってつながっています。
仕事が忙しくて、最近子どもとあまり関われていないということもあるかもしれませんし、理由はわからないけど最近なんだかしんどいということもあるでしょう。
そのような多様な背景がある中、簡単に周りの人が「こうすべき」とジャッジすることは難しいと思います。
「トラブルが起こったときにどう向き合ったらいいか」ということを2つの視点に分けて考えてみるとどうでしょうか。
1つは「本人や家庭ができることに向き合う」ことです。
加害者に見える人がどう周りを傷つけずにすむか、家庭での本人の満たされなさと向き合うということかもしれませんし、その人自身が自分の行動をセルフコントロールできるように向き合うことも必要なことかもしれません。
ですが、本人や家庭ができることを考えるだけだと、原因が本人や家庭だけにあるように見ているかのようで、とてもしんどいことだと思います。
なので、2つ目に、集団の側が「異なる他者とどのように『ともにいる』か?」という視点を持つことが重要です。
解決を目指すという方向だけでなく、集団がそのことに対して寛容になれるように、環境を調整したり、お互いに知り合う機会を持つことで、「分かり合って許せるようになる」というような集団の器を見直す道も同時に大事にしたいことです。
人の行動は、環境に影響を受けています。そうであるならば、環境の方が変われば、その人の行動が変わるということもあります。
大事にしたい大人の在り方
最後に、コクレオの森が大事にしたい在り方について共有しました。
この在り方は昨年度、NPOの会員の人たちで集まった「ビジョンミーティング」の成果物として生まれたものです。
コクレオの森のビジョンは「私を生きる人を増やす」です。
そのために、コクレオの森は「自分も人も大切にすること」を提供しています。
そして、自分も人も大切にするためには、この「信頼・対等・対話」という3つの在り方が欠かせません。
まず、「信頼」とは何か条件をつけたり、結果を期待してするものではありません。
「信頼」とは、その人に対する可能性の信頼であり、存在の信頼です。
「どんなことがあっても大丈夫」という人への感覚や、「この場がどうなっても私たちはきっとやっていける」という感覚です。
「信頼」が揺らいでしまうと、対話が難しくなります。相手を信頼することが難しいと、相手のせいだと感じたり、責任を押し付けあうような議論へと繋がっていきます。
「対等」とは、強い人と弱い人、加害者と被害者、教育の提供者と受け手と分けることではなく、1人の人としてお互いを尊重する在り方です。
「対等さ」が揺らいで、上下関係になってしまうと、お互いの感じていることを尊重していくことが難しくなってしまいます。
「対話」は、信頼と対等があってできるものです。
「対話」では、自分への信頼と相手への信頼があるからこそ、内面で感じている言いにくいこともはっきり伝えることができます。信頼・対等の在り方で対話しようとすることが、自分も人も大切にすることにつながっていきます。
信頼・対等・対話で、学校をともにつくる
最後にメッセージとして伝えたのは、「信頼・対等・対話で、学校をともにつくる」ということでした。
こどもの森では、保護者の方に「学校をともにつくろう」と伝えていて、入学時にもそのことを確認しています。
この「学校をともにつくる」とは、普段のお手伝いとして掃除をしてくれたり、イベントをするときにそのお手伝いをするということも含まれますが、一番大事なことは、同じ在り方で子どもを見守るということだと思います。
学校と家庭は子どもにとって地続きとなる経験の場であり、その場にいる大人の在り方が、一番教育の質にも関わります。
しかし、この1学期に保護者の方と暴言・暴力についての懇談を開くことに決めたのも、スタッフも保護者もこの在り方で居続けることが難しかったということだったのだと思います。
スタッフも、保護者の方に子ども同士の関係性を共有することに、パーソナルな問題を感じたため、うまく共有できませんでした。それが結果として保護者の方の不信感につながるということもあったかもしれません。
葛藤し揺らいだけど、この在り方に向き合い続けるということが一番「自分も人も大切にする」ことにつながると信じています。
対話で出てきたこと
最後に、このテーマでグループに分かれて話し合い、全体の場でそれぞれ気づいたことを共有しました。
保護者の方から出てきた気づきをいくつかシェアします。
- トラブルがあったときというか、日頃から大事にしたい在り方だと感じた。心を開いて、もやもやを出していく練習をしたい。
- 対話とは、言葉だけだろうか。見えないものもありそうだと感じた。
- 子どもにネガティブな見方で見続けることの影響について考えてみませんか。量子力学では観測した瞬間からそれになるというものがある。自分たちがどのように子どもを観ているかということを意識してみるということもできることだと思う。
- みんなの意識の高さにすごいなと思った。でも、意識高くない自分でもいいということを思いたい。
- 子ども同士でトラブルがあっても、親同士がつながっていれば安心していられるかもと思った。気軽に言い合える親の関係性が大事。こういう場に出てくることが苦手な人もいるから、そういう人とも誰かがつながっていればいいなと思う。
- トラブルが起きない社会もあると思う。それぞれがやりたいことをやっていたら、機嫌が悪くならないと思う。夢中になれる大人でありたい。
- 共感一辺倒でも解決できないと思った。共感も一つの手段と考えたい。
- 大人が幸せでいることが大事。
- 自分はつい解決したくなる。でも自分が小中学生のとき、周りに解決してほしいと思ったこともあったけど、求めてないときもあった。ただ心を寄せるということでもいいのかもしれない。それぞれのタイミングがある。
- 今回、この場があってよかった。こういう人たちが集まっていることが嬉しい。同じことが起こったとき、違う選択ができると思う。
- 私ができることってなんだろう?と考えた。1学期は邪気が乱れているなと感じていた。私は保護者とスタッフの橋渡しがしたいなと思って、「ただともにいる会」というのをつくろうと思った。
今回の「自分も人も大切にするワークショップ」で、改めて大事にしたい在り方についてみんなで話し合うことの大切さを感じました。
学校は関わる大人(保護者・スタッフ)でともにつくっていくものです。
その大人たちが何をしているか以前の、「どう在るか」という部分について対話し、深めることは改めて自分たちという森の土壌を見直すような機会でした。
その場にこんなたくさんの大人たちが集まり、対話できたことを幸せに思います。
(予定あって参加できなかった保護者の方もアーカイブ動画をみて、たくさんコメントをくれています)
今回の対話は、きっとこれからの学校づくりにつながる場になっていくと思います。
これをきっかけに、今後もこのような場を続けていけたらと思いました。
参加していただいた皆様、気持ちを寄せていただいた皆様ありがとうございました〜
(T,Y)