【高学年テーマ】わたしのまち 笹川さんのお話「小野原について」


今回は小野原在住の笹川さんに来ていただき、小野原近辺についてお話しをうかがいました。

小野原の名前の由来はどんなかな

 

箕面こどもの森学園は小野原西という場所にありますが、「小野原」という地名はどこからきているのでしょうか。笹川さんのお話しによると、634年~640年代(今から1390年ほど前)に小野明麿一族がはじめて住み着いた地と言われており(豊川村誌)、その小野氏の名前から小野原村の名前がついたようだとのことでした。

 

北の北摂山系と南の千里丘の間、平安時代には西国街道(国道171号線にそって箕面市の東西を走る道、西国から京都に入る重要な道で、参勤交代の大名たちや西国巡礼の人々でにぎわった)に沿って集落が存在していました。そして、西国街道の南には現在こどもたちになじみ深い松出公園があります。

小野原の集落はどんなところに出来たのかな

「松出公園の北側には何があるでしょうか」という笹川さんの質問に「池がある!」と大きな声がしました。

松井公園の北にはなにがある?

確かに松出公園の北側には、緑が生い茂った中に池があります。

(笹川さん)「ため池から田に水を引き、集落の人々がみんなで協力して米作りをしていました。」

稲が大きく育ち、緑一面に田んぼが広がる景色はさぞ美しかっただろうと想像します。

 

(笹川さん)「千里北公園の入り口には、今でも竹やぶがのこっているね。昔は千里丘陵には竹やぶがたくさん茂っていました。」

「みんな、たけのこは勝手に生えてきて食べられるとおもっているかな。竹やぶに人が入って、手入れをすることでおいしいたけのこが食べられるようになるんですよ。」

「へぇー」という少し驚いた表情でこどもたちはお話しを聞いていました。

昔の人びとは古い竹の整理をし、よい土壌づくりを続けておいしいたけのこを作っていたのですね。

小野原の氏神様である春日神社では、毎年10月半ばに地域の人が集まり、おみこしをかついで秋祭りを楽しみ、新年にはとんどと呼ばれる行事にしめ縄、門松、書初めなどを持ち寄り一年の無病息災やみんなの安全を願うということでした。

春日神社の祭りの様子

 

(笹川さん)「子どもの頃にはキツネにだまされるから、こどもだけで林に遊びに行かないようにとよく親から言われましたよ。」

何人かのこどもたちは「えっ」という真剣な趣になりました。キツネやタヌキは日本の昔話によく登場しますが、当時の小野原にも住んでいたのですね。

笹川さんは、こどもたちが知っている場所をたずねながら、小野原の歴史や周辺の移り変わりをお話ししてくださいました。

笹川さん、お忙しい中お話しに来てくださってありがとうございました!

m.y