メディアと付き合うときに考えてみたい、「一部と全部」のこと。
ラジオを聞かれたおうちの人からの感想でもあったので、みんなで考えてみました。
こんな例はどうかな?(※参考本:『窓を広げて考えよう』より)
【伝染病が流行り出したころ。テレビに映った、マスクをしている人たち】
テレビに映ってる人たちはほぼみんなマスクしているね。これをもうちょっとテレビの枠をひろげて考えてみたらどんなことが見えてきそう?
こども「テレビに映ってる人はマスクばっかりやけど、その他の人たちはマスクしてない!」
うんうん、そうかもね。その他の可能性はある?
「え?あ、そうか、その可能性だけじゃないのか」と、3年生の子がぽろり。
さっき言ってくれた可能性もあるし、テレビに映ってない人たちもほとんどがマスクしているかもしれない。マスクしている人もしていない人も半々ぐらいの可能性もある。
ひろげて見てみると、いろんな可能性が考えられたけど、今テレビに映っているのは「一部」なんやね。
じゃあ、こんな例はどう?
【また出た!一等!と書かれたのぼりがある宝くじ売り場】
それを見てすぐ、「そんなことないやろ!」と言った2年生の子。
それはどうして?
「当たった人もいるし、当たってない人もいるんじゃない?」
うんうん、なるほど。
当たった人は一部で、もうちょっとひろげて考えてみると、当選しなくて残念な思いをした人たちが今までにいっぱいいたかもしれない。
今度はみんなに身近な例で考えてみようか。こんなのはどう??
【こどもの森の人はみんな、木工がだいすき!】
「え、そんなことないんちゃう?」
「わたし木工苦手やけど・・・」
「みんな、って言っちゃうと、ちょっと違うんちゃう?」
うんうん、そうやなあ。木工が好きな人(一部)もいるし、そうじゃない人もいるね。
じゃあ、こんなのは?
【最近のこどもはみんなYouTubeばっかり見とるわ~という、おじいちゃん】
こどもたちは一斉に、「えー!ちがうし!」という反応。
「見てるときもあるけど、見てないときもあるし!」
「YouTubeばっかりじゃないもん!」
「決めつけんといてよ!」
・・・
おじいちゃんは、YouTubeを見ている「一部」のこどもたちを見て、「最近のこどもはみんな」とまるで「全部」のように言ってしまったようです。
では、これは?
【こどもの森以外の学校ってな、ここみたいに自由じゃないねんで。いいやろ~?】
「うーん、まあ、こどもの森以外の学校全部が自由じゃないってことでもないか」
「いろんな学校があるって、お母さん言ってた」
そうやね、これもちょっとひろげて見てみるとさ、こどもの森以外の学校は、
ことばかずとかプロジェクトが全然ない学校もあるし、
こどもの森とは正反対な感じの学校もあるだろうし、
野外で一日過ごす学校もあるし、
こどもの森っぽい公立の学校もあるだろうし、
こどもの森みたいに少人数で学んでいる公立の学校もあるだろうし、
そもそも建物がなくて青空教室みたいな感じで学ぶ学校もあるし・・・
ひろげて考えてみると、「こどもの森以外の学校」って言っても、いろんな学校があるんやね。
・・・
ここまで話して、一年生の子が気が付きました。
「あのさ、公立の学校の子ももしかしたらさ、決めつけられて嫌な気持ちがしたんかな」
と、ぽろっと言いました。
さっきのYouTubeの例で、一部を見ただけで全部のように言われると決めつけられた感じがする、という話とリンクしたのでしょうか。
おうちの人からの感想のことも思い出して、そんな風に感じたようです。
*****
メディアリテラシーという難しそうなテーマに取り組んでいる低学年のみんな。
たくさんのケースから、受け取り方が様々あることを知りました。
次回は、「他の見え方もないかな?」ということを考えてみたいと思っています。
***** ちなみに。
放課後あやとりをしていた1年生の女の子を見て、「ちっちゃい子っていっつもあやとりするよな~」と、3年生。
その場にいたスタッフと顔を見合わせ、ハッとして、「あ!一部と全部や!」と顔を見合わせて笑っちゃいました。
(M.F)