2学期のテーマ「さべつのたね(※)」で、暮らしのちがいについて学んでいるグループの人たち。
(※)「さべつのたね」については、こちらをどうぞ。https://kodomono-mori.com/blog/?p=17398
今日は、「三つ子の王子のおはなし」(絵本『ちがいを豊かさに』より)を使って、「ちがい」や「さべつ」について、哲学をしました。
【簡単にあらすじを…】
三つ子の末っ子だけが、頭のつむじが左巻きだったため、右巻きである他の二人から、長年、馬鹿にされたり、「左巻きのくせに」「生意気」などと言われたりしてきました。
流行り病で右巻きの二人が亡くなってしまったため、左巻きの末っ子が王位につきました。王様は「つむじ令」という法律をつくり、住居や学校、婚姻などについて、左巻きに有利で、左巻きと右巻きを隔離するような法律を作りました。それにより、今まで友だちや家族だった人たちとも離れ離れに。
100年が経ち、つむじ令は廃止されましたが、いまだ左巻きも右巻きも平等ではありませんでした。
↓ 絵にするとこんな感じ。
輪になって哲学をした、こどもたちの声は…
・つむじ令で、得をしている人と損をしている人がいたのに、突然つむじ令がなくなっても、すぐに平等にはならへん。
・つむじ令に慣れている人がいるから、ずっと馬鹿にされてきた人は、「つむじ令がなくなったって、まだ差別はなくならへんやん」って思うと思う。
・つむじ令なんか作らんかったらよかったのに。
・もともとは兄弟げんか?みたいな感じ。だから王様は仕返しでつむじ令を作った。
・つむじ令ができたときな、右巻きの人は右巻きだけで集まって、村?みたいなのができるやん。そしたら左巻きも村みたいなのができるやん。それが100年も経ったら家族とか友だちもおらんくなってるし、お互い知らん人ばっかりになってる。壁みたいなのができてる。
・左巻きの人ばっかりが得やったんじゃないんじゃない?例えば、左巻きの人に好きな人ができて、その人が右巻きの人やったら結婚できひんやん。どっちも幸せじゃないと思う。
個人でも、振り返ってみました ↓
・兄弟げんかみたいなので始まったんやったら、けんかした後に、「けんかせんかったらよかったな」とか考えたらよかったと思う。
・ちょっとの違いなのに、いじめるのはアカンと思う。
・じぶんのこころは自分次第。王様はいじめられても、仕返しはアカンと思う。
・つむじ令をつくっても、自分のしたいことができなくなるだけじゃないの?
・ちがいをほめたらよかった。
・最初のけんかを止めたらよかったのでは?
・自分の中でも、嫌なことがあったときにどこかで吐き出したくなって、ちがいがある人にあたったりすることもあるかもしれへん。
・相手を軽蔑するとき、違いは不幸になる。
・なんとかしようとしたかったら、みんなで相談するのがいいと思う。
違いを豊かにする方法。
わたしたちも考えていかなければいけません。
(M.F)