低学年集会~わたしのプロジェクトの作品がな・・・~


ある日の低学年集会。議題は、ある1年生の困りごと『わたしのプロジェクトの作品のこと』

 

○○ちゃん:「あんな、わたしのプロジェクトのいちごのやつ、木工室に置いててんけどなくなってて、ソーラーパネルのとこに挟まってるねん。誰かが投げたんやと思うねんけど、なんか知ってる人がいたら教えてほしい。」

 

司会の子:「なにか質問や意見はありませんか?」

 

ためらいながらも何人か状況を知っている子が発言したり、それを受けて質問があったり、また知っている子が違う発言をしたり、という時間が過ぎ…

 

スタッフ:「ん~、なんだか話がかみ合ってなかったり、記憶もあいまいになってるかもしれないね。」

 

うーん・・・という顔のみんな。

 

こども:「ていうかさ、低学年だけじゃなくて高学年にも聞いてみたら?次全校集会あるやん。」

 

司会の子:「じゃあそれでいいですか?」

 

みんな:「はい」

 

スタッフ:(心の声)『ああ、もう終わるかな、どうしよう、難しいかもしれへんけど、聞いてみようか…』

 

スタッフ:「ちょっといいですか?」

 

「あの、今みんな犯人捜しをしたいわけじゃなかったし、知ってることをみんなで話して確認して、それでも分からなかったから低学年以外のみんなにも聞いてみようってなったやん。

でも、○○ちゃんが置いてた机とソーラーパネルのところってだいぶ離れてるし、きっとこの学校の誰かがわざと投げたんじゃないかってなってるやん?

そういう人がさ、学校で一緒に過ごしてて、今みんなはどういう気持ちなんかなっていうのを知りたいねんけど。」

 

・・・

 

こども(3年生):「ねえ、ちょっと1年生とかには難しいんじゃない?」

 

スタッフ:「うん。じゃあ隣どうしで話してみたらどうやろう?今から何について話すか、みんなに伝わってるかな?」

 

(もう一度、スタッフが聞きたいことを整理して伝えます)

 

すると隣どうしくっつき、ぽろぽろと喋り出したみんな。

 

帰りのミーティングを予定変更してペアで話したことをシェアすると、みんなの考えたこと、感じていることがたくさん出てきました。

 

「○○ちゃんがかわいそう。」

「悪い。」「悲しい。」

「見つかったら謝ってほしい。」

「自分が悲しくなると思う。」

「やってしまった人にもストレスがあったんかな?」

「自分がやられたら嫌や。」

「なんで投げちゃったのか知りたい。」

「高学年の人に聞いても、ウソついてる人もいると思う。」

「人を大切にしてない。」

 

(ああ、難しくても聞いてみて良かったなあ)

 

ペアで話しながら、自主的に裏紙を持ってきて記録している人たちもいました。

1人の子のためにみんなで考えられること、投げちゃった人にも思いを寄せられる人、大人でも難しいことをよく考えて言葉にするもんやなあと、驚きます。

 

 

**********後日の全校集会にて**********

 

〇〇ちゃんは、「投げた人は謝ってほしい。」と全校集会でみんなに言いました。

高学年の子から、「さすがにこの場で謝れる人は出てこないと思うよ。」という声を筆頭に同じような意見が続き、「〇〇ちゃんはどうしたいの?」という質問に、もう一度、「謝ってほしい。」と、一言。

 

・・・

 

司会の人が時間を気にしながら、まとめる方向へ話を持っていった方がいいよな~と頭の中で考えながらも進行を続けてくれます。

 

結局、「この場では謝れないかと思うから、また後で〇〇ちゃんに謝ること」、「前にも同じようなことで集会で話をしたにも関わらずこういったことがまた起こってしまったのは残念で、もうやめてほしい」と、司会の人がまとめてくれました。

 

終わってから、「ああいうときってどうしたらいいか分からんな~むずかしいな。」と、司会をやってくれた子がポツリ。

 

どういう形で終わろうと、みんなで顔を突き合わせて考えたことが、大事な糧になっていくんだろうと感じます。

 

(M.F)