低学年のクラスでは、これまでいろんな「ちがい」と持つ人たちのことを知り、交流してきました。
箕面市人権センター北芝、ホームレス状態の人、在日韓国人。
そして、今回は身体に重度の障害を持ちながらも自分らしく生きていらっしゃる
NPO法人ポムハウス代表、折田涼さんにこどもの森に来ていただきました。
こどもの森に来ていただくのはこれで2回目。前回は2012年に「障害ってなに?」というテーマの時です。
*その時の様子はこちら https://kodomono-mori.com/blog/?p=1983
折田さんは、脊髄性筋萎縮症という病気で、身体は目とまぶたしか動かず、人工呼吸器をつけて生きています。
そんな折田さんはヘルパーさんに手伝ってもらって思ったことを話すのです。
たとえば、ヘルパーさんが
「涼くん、写真を真ん中に映して、涼くんはこの位置でいい?」
と聞きます。
折田さんは目を上に動かしました。「いいよ」という意味です。
「ダメ」の時は目を動かしません。
こうやって自分の意思を伝えます。
ヘルパーさんは折田さんのこのわずかな目の動きをさっと読み取って、折田さんの言いたいことをすぐに理解していました。
お話が始まる前から子どもたちは折田さんに興味津々。
折田さんの周りに子どもたちが集まってきて、「これはなに?」「どうやってごはん食べるの?」と質問をしていました。
こうして、折田さんのお話が始まりました。
事前に用意してくださった原稿をヘルパーさんが代わりに読みながらの講演です。
生まれた時のこと、保育所生活、小学校生活、中学、高校、そして大人になってから今の生活について、具体的なエピソードをたくさん話してくださいました。
人工呼吸器をつけた人は病院で暮らすのが普通なのですが、ご両親はできるだけみんなと同じようにあたりまえの生活をさせたいと強く願い、
市役所や教育委員会と何度も話し合って、通常学級での学校生活を実現させたそうです。
折田さんのお話の中から、印象的なことをいくつかご紹介します。
「小学生の頃、ドッヂボールをする時は、運動の得意な子が「涼くんはオレが守る!」」と言って車イスの前に立ってくれて「かっこええ~」と思ってふと後ろを見たら、ドッヂボールがニガテな子たちが、ボールが当たらないようにちゃっかりボクの後ろに隠れていました。ボクは守られるだけでなく、友だちも守れる存在でした」
「授業中に呼吸器が外れた時、隣の友だちが呼吸器のアラームが鳴るよりも前に、いち早く気づいてつないでくれました。これは、ボクが呼吸器を使って息をしているということを当たり前のこととして受け止めてくれていたから。人工呼吸器を特別なものと思わないで関わる、そんな当たり前の関係があることで、安全に生きていけるんだって思いました」
また、高校のときバスで通学していたそうですが、当時はまだノンステップバスが1台しかなかったのが、折田さんが卒業する頃には6台に増えていたそうです。ベビーカーを押すお母さんやお年よりもバスを利用しやすくなりました。
そんな体験から、折田さんは「ボクが生活しやすい世界は、誰もが生活しやすい世界なんだ」と気づかれたそうです。
そして折田さんは、大人になった今、なんと一人暮らしをされています。
もちろんヘルパーさんがついているのですが、親から離れ自立した生活を満喫されているようです。
折田さんが、他の人と同じように当たり前の暮らしをしようとされることで、折田さん自身の人生が輝くだけでなく、
周囲の人たちや社会に影響を与え、誰もが安心して暮らせる社会へと、少しずつ変化していくのだなあと思いました。
お話が終わると、子どもたちからの質問が次々と飛び出しました。
「ごはんは定期的に食べているの?」
「このペットボトルみたいなん、何ですか?(点滴のような器具を見て)」
「お風呂はどうやって入ってるんですか?」
「歯磨きとかはしてるんですか?」
「トイレってどうしてるんですか?」
「ストレッチャーっていくらするんですか?」
などなど。子どもたちの質問に丁寧に答えてくださいました。
また、折田さんのごはんの味見もさせていただきました。
とても濃い豆乳のようなプリンみたいな味でした。
これを管で直接胃に入れるのだそうです。
放課後、帰りのタクシーを待つ間も、子どもたちは折田さんの周りに集まり、話をしていました。
お迎えにいらしたお母さんの手を引っ張って「紹介したい人がいるの!!」と、お母さんを会わせた女の子もいました。
折田さんがタクシーに乗り込むのを見届け、車が曲がり角を曲がって見えなくなるまで手を振っていた人もいました。
子どもの頃からいつもたくさんの友だちに囲まれていた折田さん。
こどもの森の子どもたちの心もバッチリつかまれたようでした。
(A.M)